人生十人十色〜第二章〜

 

こんにちは!

人生十人十色』お読みいただき、

ありがとうございました☆

 

自分の人生ですが、

ゆっくり振り返り文章にしてみると、

あれもこれも思い出してきて、

まとめるのが大変ですね。

 

後から読み返しながら、

そういえばあんなこともあったんやなぁと、

更に色々と思い出してきました!

 

私は消してしまいたい過去が沢山あって

昔の自分が大嫌いでした

 

アッ!

今は”私ってスゴイ”かも?って思っています(*^^)v笑

 

時間のある方は、是非ゆっくりと自分の人生を振り返ってみてください。

過去よりも今が大事。

もちろんそうです!でもきっと新しい発見があります。

 

それでは、私の人生の続き。

 

前回は、高校を卒業して上京します!

のところまででした。

 

高校3年の夏の体験から、”国際協力”に興味を持ち、

外国語専門学校の国際ボランティア科へ入学しました。

 

前回、ドイツに行った事を書きましたが、

実はそれより前、

高校2年の時に初めてパスポートをつくり

初海外へ出ています。

 

話しが少し戻りますが、、

 

それは、高校の修学旅行。

当時、県内かな?高校修学旅行で初めて中国へ行った学年です。

学年全員200名で行きました。

 

 

まぁ大変でした!

バスが走れば砂埃がすごかったような。

そして、好き嫌いが多い私は、

ご飯が全く食べれませんでした。

 

山口県の姉妹都市

山東省(さんとうしょう)へ。

国内線は小さく二班にわかれました。

一機は飛びましたが、もう一機はナカナカ飛ばず、

私のクラスは、先に到着済みでしたが、

後からのクラスは大変だったと聞きました。

 

先に到着組は、飛行機を降りたところで、

盛大な鼓笛隊に迎えられ大歓迎していただいきビックリ!

超列な印象が残ってます。

 

 

山東省の学校を訪問し現地の学生と交流したり、

 

 

素敵なガイド劉さんとの出逢い、

 

 

パンダに逢えたり、

万里の長城を歩いたり、

かけがえのない経験にもなりましたが、

 

まぁとにかく私にとっては、

ご飯が散々でして、中国って・・・(・・;)

と、頭にすり込まれてしまいました。

 

実はそれ以来、乗換以外では

中国へ行っていません(>_<)

去年あたりから、中国の郊外にとても興味がわいてます。

 

 

当時、計画された先生方や

手配・添乗いただいた旅行会社は大変だっただろうなぁと。

 

数年後、まさか!その旅行会社で働くことになるとは、、

この時、全く想像していませんでした

 

私は、二度と行きたいくないと思いましたが、

この経験から中国にはまった同級生もいます。

留学したり中国語の先生になったり♪

何事も、どこでどう繋がるかわからないものです。

 

そしてもうひとつ、

インターアクトの派遣でお隣”韓国”にも行かせていただきました。

コチラは、ホームスティさせていただき、

その時、着せていただいた、民族衣装チマチョゴリを

まだ手元で保管してます。

 

 

17歳の年、一年で三回も海外に行く機会に恵まれ、

現地の人達と交流することにとても魅力を感じ、

私の海外熱に一気に火がつきました。

 

1999年、卒業の春。

地元のデパート?がニチイからサティリニューアルするタイミング。

今では、すっかりイオンです。

 

卒業から上京までの一ヶ月、

新しくなったサティで、

猛烈にバイトして、生活費を稼ぎました(*^^)v

オムライスをつくる毎日。

 

 

高校時代にしたアルバイトは、

イタリア料理の洗い場。

デリバリーの寿司握り。

ピザ屋のピザづくり。

GWは花屋の母の日カーネーションの箱詰め。

年末年始は、精肉工場の肉詰め。

朝の新聞配達。

他にもしたかもしれませんが、

ダブルワークをしたり、アレコレやりました。

 

高校バイト生活は、

出来たてのオムライス屋さんで締めくくり♪

 

ふとした話から、高校で同じクラスだった友人と

東京で一緒に住もうという話になり、

東伏見でのシェア生活がはじまりました!

 

上京してまずやったのは、学校の最寄駅から学校までの間に

バイト先を探すこと。

土地勘が全くないのと、今のようにスマホでチョイチョイとは

探せなかったので、歩いて探しました!

 

募集していたわりに、採用まで確か1ヶ月近くかかり、

最初は週1回とか2回の出勤。

仕送りがなかったのでヤキモキしました。

そのあと、東京滞在中はずっと働かせていただき、

大変お世話になったお店です。

 

東京を離れてから疎遠になっていましたが、

ここ数年SNSの発達により、

数年前からこの時のメンバーと関係が復活しました。

ここ最近で、とても嬉しい出来事の一つです。

 

 

実は、このお店の階段を降りたところで一目惚れした人がいて、

東京滞在中は、ずっと追いかけてました!笑

 

入学して無事に友達もでき、バイトも決まり、

東京ライフのはじまりです。

 

東京へ行って最初の夏。

今、思うとよくお金を貯めたなぁと思いますが、

約2ヶ月のバックパック旅行に出かけました。

 

出発当日の朝、早朝に出る予定が、

ルームメイトから起こされるまで気付かず、

新宿までタクシーをブッ飛ばした記憶があります。笑

 

 

この時18歳、初めての完全ひとり旅★

 

ロシア・リトアニア・ポーランド・

オーストリア・クロアチアを訪れました。

 

 

約20年前

まだあまり人が行ってないところに行きたいと、

ロシアを選び、試行錯誤してVISAをゲット!

アエロフロートに乗って到着。

モスクワの空港は薄暗く、ヒッソリとしていて

ドキドキしました。

 

そのあと、ボランティア先を探すために街に出ます。

とりあえず赤の広場までは行けましたが、

そのあとが大変大変大変。

 

 

手元にあった住所を聞いても、誰もわかりません(>_<)

というか自分の英語もイマイチだし、

現地に英語を分かってくれる人がいなかった。

 

重たいバックパックをかるいながら、赤の広場で泣きましたね。笑

水を買えば、炭酸水だし(・・;)

 

着いた初日に情けなくて、通信手段は公衆電話しかなかったので、

ホテルで公衆電話の使い方を教えてもらって、

実家にかけようとするも、コレがまたうまく使えない(+o+)

何回も何回も教えてもらって、ようやく繋がりました!

 

母が電話に出てくれましたが、

「帰りたくなったら飛行機代は出すから帰ってもえんよ。

ただ、せっかく自分で決めて行ったんだから、

今できることは精一杯やってみなさい。」

 

正確ではありませんが、なんとなくこんな言葉をかけてもらいました。

母親の事、大嫌いでしたが振り返ると

大事なところは、いつも助けてもらっていたかも。

 

それから改めて街に出て、色んな人に聞いて回り、

ようやく英語を読める”おばあさん”に出逢いました。

おばあさんによると、印刷で小文字の””が””になっている。

 

それで随分読み方がかわる?そんな感じの事を言いながら、

正確な住所とそこへの行き方を教えてくれました。

 

私にとっては、恩人。

住所だけでも教えて欲しいと言いましたが、

「気を付けていきなさい。」と途中まで見送ってくれました。

 

今の時代は、スマホの充電さえあれば行けるけどね。

昔の旅には、紙の地図と住所が必須でした!

 

無事に事務所にたどり着いてビックリ、

ボランティアの場所は、

シベリア鉄道に乗って鉄道で一泊寝て、その先の街

突然、シベリア鉄道乗ることになりました。

最近はきれいになったと聞きますが、

当時は水回りとか唖然としました(+o+)

 

ロシアで泣きはらした顔の写真が何故か?あります。

 

 

シベリア鉄道で一晩寝て着いたのは、

エカテリンブルク”という綺麗な街。

街の名前も行った時に知りました!

 

 

今調べてみても、シベリア鉄道で約32時間かかるようです

 

当時、持って帰って来た街並みのポストカード★

 

 

ここから更に、森林地帯へ。

大自然の中、何もない素敵な場所へたどり着きました。

 

 

林間学校のようなところまで行き、確か1週間くらい、

子どもたちのサマーキャンプで一緒に過ごしました!

親がいない子供たちが夏休みに過ごすキャンプだったかと。

 

 

折り紙教えたり、浴衣を着せたり、

 

 

外で一緒に遊び、ご飯を作って食べて、

 

 

スタッフは個性が強く、とても印象に残っています。

 

 

ロシアでのキャンプを無事に終え、

リトアニアへ。

 

 

街を散策した後に、

こちらも湖畔でのワークキャンプに参加しました。

 

 

あまり覚えていませんが、子どもたちと共同作業をしたような。

 

 

キャンプが終わり、次の国へ。

と思っていたところ、

一緒に参加していた日本人が、まだ街歩きをしていないということで、

再度、街歩きへ出かけました♪

 

リトアニア第二の都市★カウナスへ

 

このワンピース?旅の途中で購入。

とても気に入っていて、占星術で初鑑定の時に衣装にしました❤

 

私がリトアニアへ行ったのは・・・・。

一年前にドイツで一目惚れした彼に逢えたりしないかなぁと

当時は、今のようにネットが発達しておらず、

一応、mailアドレスがあるけど届くのかも分からない。

出発前に連絡してみたものの返事がないので、諦めていました!

 

が、しかし!!!

カウナスのメイン通りを友人たちと歩いていたら、

ん?

一回、すれ違って通り過ぎて振り返りました!

 

 

そこには、まさかのまさか!

彼が!!!!!

この時ばかりは、心臓バクバクです❤❤❤笑

本当に運命かと思いましたョ。

 

今、見てもイケメン(*^^)v

 

 

そのあと、上の写真に写っている赤十字のリーダーの女性が、

自宅へ招いてくれて、パーティしてくれました!

 

私の英語力不足・・・・。

この恋は発展しませんでしたーーーー(>_<)笑

 

リトアニアについては、こちらで紹介してます♪

http://astromisako.world/?eid=42

 

この後、南下してポーランド。

 

ポーランドは前のブログで紹介してます♪

http://astromisako.world/?eid=40

 

更に南下して、オーストリア★

 

ウィーンです。

 

 

芸術とか音楽とか、当時は全然興味がなく、

有名な物だけ食べて、ほぼスルーしました!笑

 

 

歳を重ねまして、今だったら行きたいところだらけ!

 

 

そして、最終目的地。

クロアチアへ。

 

 

クロアチアを最終目的地にしたのは、

ドイツでとても仲良くなった女の子から「是非遊びにおいで〜♪」と。

ほんとに行っちゃいました!

 

 

お家に泊めていただいて、

山へ海へ町へ。

色んな所へ連れていてもらいました!

自然豊かなで街並みも本当に綺麗な国。

また行きたい国の一つです。

 

 

外国の話になると、どうしても熱が入ってしまします!

だいぶ長くなりましたが、この旅を通して改めて海外そして旅の虜に

 

ココからは、次の旅のために。

寝る間を惜しんでバイトしました!

 

田舎から知り合いのいない東京に、

更に親の反対を押し切ったので、

友人が一緒というのはとても心強かった!

彼女も夢のために一生懸命、働いていたので、

時間が合う時は夜中に一緒にご飯を食べに行ったり、

お互い楽しく過ごしました♪

 

ただ、関東暮らしが分からず物件を決めた為、

日当たりは抜群でしたが、駅から遠く、

満員電車の後の距離に疲れ、

一年足らずで、学校がある駅へ引越しました!

 

引っ越してからは、電車の時間が関係なくなり、

更に働けるようになりました!

 

働いてはお金を貯めて海外へ。

燃油チャージもまだなく、東京発は格安航空券の全盛期?

 

近所のHISに行き、今一番お得に行ける所に行こうと。

行った先は、友人とロサンゼルスへ♪

確か・・29,800円

 

日本にUSJが出来る一年前に、

アメリカのユニバーサルスタジオハリウッドに行きました!

 

コチラは、近くのナッツベリーファームにて。

スヌーピーのホームです。

 

 

同じ年に、ベトナム南北周遊しました。

 

 

ホーチミンで、ホームスティと施設ボランティア。

この時は、すごい人数の小さな子どもたちのエネルギーがすごくて

メッチャ可愛かったのを覚えてます。

今の甥っ子姪っ子の年代の子どもたちですね〜

子供大好きです❤

 


ひとり旅の醍醐味は、現地での出会い

20年前は”地球の歩き方”を持って、安宿街を歩き、

一軒ずつ寄って雰囲気や部屋を見て、良かったらその場で当日の宿決定!

地球の歩き方を持っていたら日本人だ!って感じ。

 

ゲストハウスと呼ばれるような宿には、

パソコンが数台あって、そこでようやくメールチェックが出来る。

今、思うと贅沢な旅スタイル♪

 

今はどこへ行っても、すぐにスマホやパソコンが繋がり、

どこでもなんでもチェック出来る。

快適にはなりましたが、昔のドキドキ感は薄れましたね。

 

 

ネットの事前口コミ情報もなかったので、

全てが行き当たりバッタリ♪

 

 

旅の記録はあまり残っていないけれど、

体感や感動は、体が覚えてくれていますね。

 

 

ベトナムはホーチミン近くのミトーと、

北部ハノイの先のサパがとても印象に残っています。

 

 

そんなこんなで、また旅行の話に脱線ですが、

山口の実家へ帰るより海外の方が断然安かったんですね!

今でこそ、飛行機も少しずつお得になってきていますが、

 

5万で山口に帰るなら、そのお金で他の世界を見たい☆

そんな気持ちで、自分の事に夢中!

一年以上、山口への帰らなかったかな。

 

〜中学1年の時〜

母親が癌だということがわかり、

その頃は、『癌=死』というイメージ。

まだ建てたばかりの家の一部屋で、

母から入院の前の日に、

「帰ってこれないかもしれないから二人の事をヨロシク!」

 

号泣でよく覚えていませんが、

それらしき事を言われた記憶があります。

穏やかな父に比べて、ヒステリックだった母。

小さい時から毎日、髪を結ってはくれていましたが、

まぁよく怒鳴ってました!笑

 

そんな彼女が弱気になったのを感じた瞬間でした。

今思うと、本人が一番怖かったよね。

 

母が入院中は、隣のおばあちゃんと近所のおばちゃんが

交代でお弁当を作ってくれました!

つくってもらったお弁当を残すのも悪く思い、

野菜嫌いの私が、少し野菜を食べれるきっかけになりました。

近所の方々には小さいころから本当に可愛がってもらっていて、

山口を離れた今も、とっても感謝しています。

 

病気のせいで夫婦仲が悪くなる?!

そんなことあっては欲しくないですが、

母が入院し仕事を休み月日が経過していく中で?

夫婦仲は何となく悪くなっていた気がします。

もともと悪くなりつつあったのかもです。

 

本当のことは本人達にしかわかりませんからね。

 

小・中・高と兄弟3人剣道部で父母会の活動もあり、

なんとなーく夫婦をつくっていたのかもしれません。

 

私が高校時代、バイトにあけくれていた頃は、

家庭内別居のような最悪な雰囲気でした。

そんな状況がわかっていながら、

高校にあがる妹と小6の弟を家において、

1人で東京に行って、しばらく帰らなかった事。

 

その間、妹弟が苦労したかと思うと、

後からずっと引きずりましたね〜(>_<)

自分で自分に「何やってんだ?!」って、

しばらくは、後悔が膨らみましたねぇ。

 

この時、ときどき東京に届いていた

おじいちゃんや妹からの手紙は未だに保管してあります。

 

 

今では妹も弟も、しっかりパパママになり私以上に大人です。

 

 

っと、少々重たくなってしまいましたが、

今は、それぞれに好きなように生きてます!

 

ここ数年、色々と話す機会に恵まれ、

今は、

後悔とか、ジメジメ思うことはないです(^^♪

 

成人式には、帰省しました。

久しぶりにおじいちゃんと❤

 

 

フルセット自分用に仕立ててもらいました。

振り返ると本当にありがたい事ですが、

当時はありがたみも感じず・・・。

 

成人式の写真が好きになれず、ほとんど処分しました!

これは同級生のお母さんカメラマンが撮ってくださったショット★

手には、しっかり”写るんです”が握られています。

 

 

自分の事をダラダラと。

自己紹介と思って始めたのですが、

何だか思い出つづりになってしまってます(・o・)

 

読んでいただいてありがとうございます!

2年の事を書くのに、随分時間がかかりました(・・;)

 

次回は、20代について書きます☆

 

〜続く〜


 

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