人生十人十色〜第三章〜

 

こんにちは!

 

人生十人十色そして第二章と

読んでくださった皆様、ありがとう!

このブログのなかで圧倒的にアクセスが多いんです。笑

 

人がどんな人生を歩んできたのか。

この人どんな人なのか。

ってことに、意外と皆様が興味をお持ちなんだという事が

ビックリです!

 

少し間が空きましたが、

二十歳から今までの人生について書いてみました。

長いです。笑

 

何故?私が西洋占星術にいきついたのか。

なんで好きなことばっかりやっているのか。

 

少し振り返りつつも、

人生を綴ってみたいと思います。

 

 

 

20歳の誕生日を迎え、無事に成人式を終え、

いよいよ就職!のはず。

 

卒業を控えた2月〜3月、

就職活動もしないまま、同級生たちと卒業旅行へ。

 

各自出発し、アンコールワットの近くの宿へ

現地集合。

 

っと、成田空港へ着いたときに学校から着信。

 

まさかの卒業課題に不備があり、

再提出!っと言われたのですが、

もう出国する気満々。

 

なんとかなるかな?と思い

そのまま出発。

 

 

留年を知ったのは、数週間後、

バンコクカオサン通りから実家に電話した時。笑

 

専門学校留年とか・・・あり得ない。

けどヤッチャイマシタ!

 

学校は留年しましたが、

この時の旅で出会ったタイ人の友達とは

今でも良き友です♡

 

 

就職する気もなかったので、

そのまま東京に残り、

学校に籍はあるけど授業はなく、

フリーター生活を一年。

 

無事に卒業証書をいただきました。

 

その春、

たまたま帰省した時に、

まさかのUターン就職が決まってしまった訳です。笑

 

たしか、

新聞に挟まれている黄色い紙の求人。

祖父が戦争から帰ってきて、

ボイラー師として働いていた会社でもあり、

中学校の同級生の祖父が初代社長?という縁もあり、

流れるように決定。

 

それも何故か?経理課。

チーン( ;∀;)

 

その会社はタイに工場があり、

勤めていた事務所にも海外室がありました。

 

タイ工場へ行ける日を夢見ながら、

日々、仕訳。

請求書と領収書の発行に追われ、

 

翌年、これまた何故か営業部へ異動。

いやいや行きたいの海外なんですけど、、

と思いながら、業務をこなしました。

 

 

先輩に恵まれ、

また高校剣道部の後輩が入社してきたり、

それなりに楽しく、

勤めながら車の免許も取りました。

 

時間に余裕があったので、

仕事終わりにダブルワーク。

朝までの飲んでみたり、

 

 

日本舞踊に、ピアノに、

あれやこれやと習い事をして、

今思うと、充実感たっぷりです。

 

誰から見ても幸せそうに見えたと思いますが、

自分の中では、全然やりがいがなくて、

転職を考えていた気がします。

 

 

地元の旅行会社の求人が出たとき、

辞めることを会社に相談する前に面接に行き、

仕事が決まってから辞表を出しました。

 

当時の上司から言われて印象に残っている言葉。

 

紹介で入社したのに、その人の顔をつぶす気か

 

えらそうに、

恥ずかしいことはしていません

と、言った気がします。

 

当時23歳くらい?!

 

 

旅行会社に入ってからは、早朝から深夜まで

昼休みもろくに取れず、

よく働きました。

 

というか、分からないことだらけ( ;∀;)

 

旅行会社は特有のアルファベットや略語を使ったり、

各社ごとに処理システムが違ったり、

ややこしい。

 

そんな中、一番時間がかかったのが、

お客様からの要望を聞き、

旅行プラン(旅程表)を作ること

 

行ったことがない場所だらけなので、

調べても土地勘や時間感覚がわからない。

当時は今ほどインターネット上の情報がなかったので、

タクシーやバス会社に資料をお願いして、

夜な夜な作っていました。

 

今、振り返っても、

デスクワークでは、

これが一番好きな仕事です♡

 

 

もっと知りたいという欲が出てきて、

なかなか自分が満足できない。笑

 

そんなことをやっていたら、

 

入社した翌月に、

まさかの給料が5万円アップ

 

好きなことを仕事にする!

ってこういう事なのかもしれません。

 

入社した年に、旅程管理(添乗員の資格)を取り、

 

初めての国内添乗は愛知万博。

同年、初めての海外添乗はタイ・カンボジア★

 

今でも忘れられない添乗員デビューです。

 

 

旅行の企画・手配・添乗、全てが叶うこの会社。

辞めた理由は二つ。

 

ひとつは、

もっと自分の目で世界を見たい

 

ふたつめは、

上司が後輩にするパワハラに耐えられなかった

 

自分がされるなら何とでも言うのですが、

後輩があからさまに、怒鳴られるのが、

苦痛でしかなかった。

その後輩は、本当に芯があり、

それでもしっかり仕事をしてくれていました。

 

子供の頃から、よく母親に怒鳴られて育ったきたこともあり、

 

怒鳴っても怒っても何も解決しない

 

と感じていた私は、

誰が誰に対してでも、

誰かが怒鳴っている環境は苦手なんです。

 

旅行会社を退職する前にも、

次に行く添乗員の会社は決めていました。

 

 

それからは、福岡の添乗員の会社に入り、

添乗員の研修を受け、

添乗員生活を始めました。

 

この時、添乗員研修の講師が今でも交流のある先輩の一人。

同郷山口出身ということで、

とてもよくしていただきました。

 

福岡に引っ越さず、山口から通勤だったため、

最初は早朝から深夜までの日帰り添乗をこなす為、

同期の部屋や上司の家に泊めてもらったり、

ネットカフェで仮眠したり、

無我夢中で仕事してました。

 

当時の日当は、

時間関係なく5000円とか6000円だったんじゃないかな。

 

49人乗りのバスに49名様満席で、

九州・中国・四国・関西まで

日帰りバスツアーをこなしていました。

 

 

今はルールが厳しくなり、

日帰りではいけない場所も多くなりましたが、

15年くらい前の日帰りバスツアーは

めちゃくちゃ活気がありました。

 

旅行会社時代、添乗員時代、

この間は、お客様に喜んでいただけた事も多かったですが、

若造だったが故に、よくお叱りをいただきました。

 

 

旅行会社時代は、

とある航空券の手配ミスから、

菓子折りをもって毎日毎日お客様の家に伺い、

話も聞いてもらえず、追い返されたり。

 

添乗員時代は、

屋台船での食事の間中、

延々と説教されたり、

年越しツアーのバス仮眠について、

正月早々大声で怒鳴られたり、

 

まぁ、あげればきりがありません。

 

ただそれ以上に喜びがあり、

幸せを感じ、楽しさを知っているので、

旅行業界からは離れられません。

 

 

北陸で、嵐にあい、

サンダーバードが大幅におくれ、

40名くらいのお客様と新大阪駅で

新幹線乗り換えホームまで猛ダッシュ。

 

新幹線の中は乗車率150%で身動きできない。

全員の無事が確認できたのは、

福岡に帰り着いてから。

 

たまねぎ農家の皆さんと、

バンコクの居酒屋で大酒飲みながら、

たまねぎが嫌いな理由を語ったり、

ご一行さんの旅は、

帰ってきてからの打ち上げまでが旅。

 

ネタはたくさんありますが、

どれも今ではかけがえのない思い出であり、

私にとっては宝物

 

そして、この時代に一緒に働いていた

添乗員仲間とは今でも飲み友達☆彡

 

そんな大好きだった添乗員から離れるきっかけになったのは、

会社が倒産したからです。

 

給料の遅延滞納がはじまり、

仕事はあるももの、

なんかやばそうだな。ということから、

ずっと行きたかった

バンコクへ引っ越しました。

 

 

午前中は、タイ語学校。

午後から夜は、仕事。

 

タイに恋い焦がれる人もいたので、

楽しくて仕方がなかったですね。

 

 

 

 

そのタイ生活を一年足らずで切り上げるきっかけは、

『おじいちゃんがもう長くないかも。』

という連絡を受け、

 

帰らなきゃ!

と思った事です。

 

自分で決めたのに、泣く泣く山口に帰り、

添乗の仕事をしながら、

家から通える仕事をしようと思っていた時、

隣のおじちゃんから、

近くの会社が秘書を募集していると

話をいただき、

 

また紹介で就職することになりました。

ここから約7年くらいの秘書生活が始まります。

 

 

子供の頃は寡黙で会話がなかったおじいちゃん。

竹細工で色んなものを作ってくれたり、

しめ縄づくりで先生になるおじいちゃんが誇らしかったり、

 

農業を教えてくれたり、

地域の人は、みんなおじいちゃんに何かを聞きに来ていました。

 

おばあちゃんが亡くなってからは、

新居に引っ越すことはなく、

一人で隣の古い家で暮らしていました。

 

最後まで頭はしっかりしていたおじいちゃん。

体は動かないのに、

頭がしっかりしていて、

なかなか入所は出来ず、

本人も家に居たいという意思が強く、

亡くなるまでの数年、

家での母親の介護は見ていて壮絶でした。

 

最後はベットから落ちてしまい、

大腿骨を骨折、

入院先で眠るように亡くなりました。

 

 

東京生活を応援してくれたおじいちゃん。

時々届く手紙の中で、

誰よりも私が実家に帰ってくれるのを

待ってくれているのを知っていたので、

 

おじいちゃんの大往生を最後まで

看取ることができ、

本当に良かったと思っています。

 

 

ここから借金返済生活のはじまりです。

 

おじいちゃんは恩給を受給していて、

色々と実家の支援をしてくれていたことを知り、

 

母親は、お金に関してグダグダ。

 

おじいちゃんの死後、

もちろん恩給はなくなり、

蓋を開けたら、

両親がつくったであろう不明借金、滞納金。。。

 

詳しく書くと長くなるので割愛しますが、

 

その中で子供の名義だったものもあり、

 

悩んだ結果。

 

私は自己破産して、

自分の名前の分はチャラにしました。

ちょうど10年前の7月です。

 

自己破産したのに借金返済が続くという、

意味不明な生活。

 

今、思うと私アホですよ!

 

でも、生まれたときから住んできた土地。

家こそ建て替えたけど、

先祖代々大切に守ってきた畑や木々。

毎年、実をつけてくれる柿や

二階の窓から眺める景色が大好きだったんです。

 

 

だったら、しっかり地元に根を張って

頑張れば良かったんです。

 

私は地元・実家の環境が大好きだったけど、

それにも増して海外へ出たかった。

 

この覚悟のなさ矛盾が、

自分を苦しめた気がします。

 

同時に、結婚している人と関係を持つようになり、

破産借金生活だけでも隠れて暮らしたかったのに、

さらにコソコソと影に隠れる生活を選んでいました。

 

ほんとアホ!

でも、当時はホントに気付かなかった。

自分で自分を否定していることを。

 

 

5年で全部返そう!

そして、5年で彼とも別れよう!

借金返して、タイに戻ろう!

 

そんな気持ちでいたので、

正社員という道を選ばずに、

派遣をしながら、夜は工場でバイト、

週末は添乗員をしていました。

 

まさに、

時間をお金に変える働き方です。

稼いでも稼いでも、

時間の限りのお金にしかならない。

当たり前です。

 

ほんとに、よく働きましたわ〜。

日中は、言いたいことも言わず、

皆様の顔色をしっかり見て、

おとなしくやるべきことをこなし、

工場では、会話もせず黙々と検査。

週末に、添乗させてもらえることが息抜きでした。

 

毎月25万〜30万くらいだっただろうか、

支払いをしながら、

その頃は、貯金までしていました。

 

 

我慢して我慢して、

時々飲みに行ったら酒に飲まれて悪態。

 

もしもの時のために!って

我慢してためたお金

 

もしもの時が現実に起きてしまいます。

 

貯金は、楽しく♪

楽しい目標をもってするのが良いですね。

 

私は、酒気帯び運転で捕まりました

罰金だけで、30万円。

 

免許は、取消。

二年間再取得不可。

 

幸いにも、事故を起こすことはなく、

自分だけの問題ですみましたが、

あってはいけない事です。

 

車に乗れなくなった私は、

電車と自転車で通勤。

 

工場のバイトが終わって、

雨が降っても風が吹いても、

夜道を自転車をこぎながら、

かわいそうな自分に酔って、よく泣いてました〜

 

 

二年経過に際し、

いくらか払って交通センターで特別講習を受けます。

 

この時、個人面談で

『なぜあなたのような人がここにいるのですか。

一緒に受講している人をみてごらんなさい。

仕事もできない人や社会活動ができない人、

アル中の人が多い。

普通に仕事もできる。服装もチキンとしている。

何が、あなたをそうさせたのですか。

 

号泣ですよ。

答えられなかった。

 

周りの人がどうこうというのは置いておいて、

自分は、社会生活や会社の中で、

いい人できる人ぶって、

いかに自分を押さえつけているか。

外面を良くすればするほど、

自分の内面は苦しくなる。

 

ふと、私、我慢してるんだなぁ。

と思った瞬間です。

 

数カ月で何回か通い、

日記・お酒の量などをつける課題を提出したのち、

 

もう一回、一から自動車学校に30万円。

 

あれから数年の月日が流れ、

今では、ようやくゴールド免許です。

 

 

このころの経験は、

決して自慢できるものではないけれど、

自分の中でどん底だったので、

 

今、何が起きても、

なんとかなるだろう

と思えるのは、このころがあったからかもです。

 

 

 

妹は数年をかけて、

自分名義で勝手に借りられたお金を

最後まで清算してくれました。

 

この間、

妹と弟の結婚がありました。

 

妹が先だったので、

妹の結婚式に全てを注いだ私は、

 

弟が結婚したいと話してくれた時、

御祝できる金銭も気持ちも余裕がなく、

反対してしまいました。

 

今、思えばコレもアホです!

 

結婚を機に弟とは距離が空いていますが、

奥さんのお陰で元気に活躍している話を聞くので、

陰ながら応援しています。

 

 

地元で秘書生活を満了したタイミングで、

妹家族がマスオさんで実家へUターン。

 

それを機会に、

東京で働いてみよう!”と

久しぶりに上京しました。

 

このタイミングで不倫していたことが

彼の奥さんにバレて、距離を置きました。

 

学生時代に過ごした東京とはまた違い、

とても新鮮でした。

 

ここでもまた派遣で働くという道を選びました。

都会は、派遣であれば

選ぶほど仕事があります。

 

魅力的な会社が沢山あり悩んだ結果、

総合商社の海外室へ

入ることが出来ました!

 

まぁ凄かったです。

会社が立っている環境も一等地ですが、

食堂はキラキラしているように見えて、

オフィスや廊下から眺める景色もですが、

さらに上の階の会議室や応接室からの眺めは最高でした!

 

 

東京OLライフを満喫しながらも、

家に送金し、お金が気になりつつ、

色々と考え、

メンタルヘルスの学校へ通いました。

 

時を同じく、オーラソーマに出会い、

おかたい雰囲気の心理の勉強と

ふわっとした色彩から心理を詠み解く勉強とを

同時に進めました。

 

メンタルヘルスの講座の目標は、

企業の中へ入って、

EAPメンタルヘルスカウンセラーとして、

会社の中でうまくやっていけるように相談を受ける。

 

自分のメンタルと向き合う深い時間となりました。

 

ただ、

会社の中にいたくない私が、

会社の中でうまくやっていく話とか

出来るはずがないと思い、カウンセラーの道は選ばず。

 

 

オーラソーマの授業は広範囲に及び、

色の深さを知りました。

ただ、現実の世界に取り入れるにはあまりにフワリとしている

印象だったのですが、

授業の一コマに占星術がありました!

 

それが私の星との出逢いです。

コレだ!と思った私は、

色んな本を買って勉強しました。

のちに、大阪の先生のもとへ通います。

 

 

東京生活をしていた私ですが、

妹から離婚したいと話がありました。

 

二人目の子供を妊娠し、

出産前のタイミング。

 

特に頼まれた訳でもなく、

“じゃあ山口帰るわ〜”

 

と簡単に東京生活にさよならしました。

 

時を同じくして、

神様のいたずらかな。と思ったのは、

距離を置いていた彼が、

何故か?タイに転勤になりました!

 

196カ国も国があるのに、

何故?私が帰りたい国、タイに行くんだ!

 

って、アホだけどね思いましたね。笑

 

 

仕事を辞めたタイミングと重なり、

何回かタイに遊びに行きました。

 

タイに戻る気だった私は、

タイへの就職も考えていました。

 

ただ、二人目の子供が生まれたばかり。

甥っ子も姪っ子も可愛すぎで、

山口にいることを選択しました。

 

東京で仕事をしてみた結果。

どこでもやっていけるな!って勝手に思った私は、

また次のタイミングでタイへ行こうと、

山口で仕事を決めました。

 

今度は、初の契約社員です。

ほんとうに恵まれた

素晴らしい環境で仕事させていただきました。

 

建設コンサルタントの営業という、

これまでの経験とは全く別世界。

 

 

諸先輩方に手取り足取り全部教えていただき、

人間関係も最高によく、

文句なしの環境ではありました。

仕事はこなせる、人並みには出来る。

ただ、やりがいはなかった!

 

 

星と出逢い、大阪の先生の所へ初めて伺った時。

 

私は何故こんなにコソコソと

人の影に隠れて生きているのだろう

 

このままじゃ嫌だーーーー!!

 

太陽の当たる場所を堂々と歩きたい

 

 

こんなことを感じたのを鮮明に覚えています。

自分の星を解説してもらい、

 

全然違うやんかー!”って

思ったという事です。

 

その時、既に約束の5年は経過していました。

 

久しぶりにタイに行った時。

突然にその時が訪れました。

 

彼はタイの生活にも慣れ、

現地の女性と関係を持つようになっていました。

衝撃を受けた私は、

即さよならを決めて荷物をまとめました。

 

 

はじめから5年と決めていたのに、、

ズルズル別れられなかった。

こんな事でもなければ、

別れるきっかけがつかめなかった。

 

本当に良い機会でした。

悔しくて朝まで海で泣きましたが、

知ってる人もいないタイの海。

町まで戻れば、受け入れてくれる友達がいてくれた。

今、思えば最高のシチュエーションでした!

 

 

不思議なことですが、

ひとつをやめるともうひとつも必要なくなる。

 

親のためと自分の人生を犠牲にして借金を返す可哀そうな私

作り上げ、

 

さらに盛り上げるかのように、

結婚している人を相手に選び、

一番大切にはしてもらえない可哀そうな私を作る。

 

借金地獄の可哀そうな私には、

不倫ぐらいがちょうどいいんだ!

って、自分で調整していたのです。

 

家のことは友達に言えなかったし、

彼も不倫のことは誰にも言えない。

日々の話を聞いてもらってストレス発散させてもらったのは事実。

感謝もしています!

 

自分の星を知り、自分らしさを取り戻したい!

と思ったところから、

親のため家族のため”と

勝手に作り上げるのをやめました。

 

そしたら、もっと楽しく生きたい!という

思いが強くなり、

彼に合わせて影に隠れるのは嫌だと感じ始め、

事件勃発後、あっさり別れられました!

 

気付かないうちに、握りしめている

こだわり思い込み

少しだけ緩められたら、

大きく変わるというのを実感しました。

 

この時、重たかった両天秤が

一気に軽くなった感覚でした。

 

 

最後の会社に勤めさせていただいた2年の間に、

定期的に、大阪の先生のところへ通い、

 

そして長期休みをいただいては、

アメリカやイギリスに勉強に行かせてもらいました。

 

 

私自身は、これまで書いたことを

自分で気づくのに10数年かかりました。

 

何年、かかってもいいんです。

 

人は、自分で気付き、自分が動かなければ、

変わりません。

 

ただ、時間は有限だから、

出来ることなら早く気付いてほしい。

 

私が、悲劇のヒロインだった間、

きっと多くの友人や先輩が声をかけ、

手を差し伸べてくれていたと思います。

 

ただ私には響かなかったし、

受け入れる余裕もなかった。

自分で心に扉をして、がんじがらめに鍵をかけていました。

 

 

“私がなぜ、占星術を仕事にすることにしたか。”

 

それは、一日でも早く自分自身で気付いてほしい

 

その悲しみや苦しみは自分が作っているという事を!

 

一人でも多くの人が自分の星を知り、

 

毎日を楽しく・明るく、

そして、堂々と自分の人生を生きてほしい♡

 

星はひとつのツールであり、きっかけでしかないのだけど、

必要な人へ届けたいと思い決めました!

 

自分のために始めた占星術

これから自分自身の喜び以上に、誰かの喜びに繋がると幸せだなと思います。

 

 

占いに申し込みをした時点で、

お金を払って自分を知りたいと思えたという事です。

第一歩、『おめでとう

 

ですが、

占いをしたからといって

あなたの人生は変わります

私に任せてください

 

と、私は言えません。

 

占い師の仕事は、

道に迷っている人、行き止まりについた人、

地図をなくした人、落ちそうな人、

そんな人たちを見つけ、声をかけ、

少しだけ話を聞かせてもらう。

 

そして道案内をする。

 

 

その先に、

 

何を選択し、

何を信じるか、

動くのか動かないのか。

やるのかやらないのか。

 

道案内の先の決定権は、本人にしかないのです。

 

それは、わたしが身をもって体験しました。

 

人のせい、何かのせいにしている時点で、

前進はない。

 

全ては、自分次第☆彡

 

 

振り返ると笑えるネタが多すぎる私の人生。

多くの方からいただいたヒントを受け取り、

自分なりに決断・選択を繰り返してきました。

 

占いって継続するものではないと思っています。

一回で気付ければ最高だけど、

何回も降り戻される。

 

依存でなく自立のための大切な時間。

 

これから先、どんな人生をどんな人と過ごしたいのか。

人生に無駄はないけれど、

しんどい時期は誰にでもある。

それを知り、受け入れること。

 

過去よりも今や未来を一緒に創造できる

セラピストとして成長していきたいです。

 

私は今は、フリーの占い師を続けながら、

行きたい場所で仕事があれば、

荷物をもって移動するというスタンスで生きています。

 

昨年は、アラブ首長国連邦へ。

 

 

今年の冬は、北海道の知床半島羅臼町で

仕事させていただきました。

 

会社員をやめて4年目。

夏のシーズン(7月8月)限定で、

念願の富士登山添乗員もしています。

 

 

今回、なぜこんなにも赤裸に自分の人生を書いたかというと、

 

自己破産を決めたのが27歳の終わり。

当時、信用の再生には7年かかると言われ、

7年後35歳ならまだまだいけるな!

って思ったんです。

 

結果、手続きを放置され、

手続きが出来たのが30歳目前。

そして、信用再生には10年かかると言われました。

その時、40歳から再スタートだな!笑

って。

 

あれから10年の月日が流れ、

今年の誕生日で40歳になります。

 

10年の月日の半分以上は大事なことに気づかないまま、

時間が流れましたが、

 

ここ数年、ようやく自分らしさを知り、

楽しい毎日を過ごしています。

 

今は、所持しているものはほとんどないけど、

心も体も自由です。

 

色んな事があり、この過去を話すのも嫌で、

結婚の話もことごとく遠ざけてきました。

 

 

今年、40!

新しくスタートできると思うと、

ワクワクで胸がいっぱいです☆

 

これからは、歌って踊って旅して♪

音や自然に触れ、

大好きな友達と家族と、

そして素敵なパートナーをみつけて、

ゼロから少しずつ積み上げていきます。

 

もうすぐようやくゼロ地点到着。

本当に嬉しい。

 

まずはここまで何とかやってきた、

自分にありがとう♡

 

そして、こんなアホみたいなことを並べた人生を

笑って話せるようになった自分に乾杯☆彡

 

正社員・契約社員・派遣社員・アルバイトとして

多くの企業で働かせていただき、

お給料をいただき、

沢山の皆さんに元気をいただきました。

本当に、感謝しております。

 

 

私の目標が明確でなかったことから、

数々の転職をくりかえしました。

 

これからは、自分の足でしっかり立ち、

自分のやるべき道を堂々と歩いていきます。

 

まずは、家族より親より人のことよりも

自分を喜ばせられる私でいたい。

 

これからも、お付き合いいただける皆様♡

そしてこれからご縁のつながる皆様♡

 

どうぞよろしくお願いしまーす(^^♪

 

このままじゃ嫌だー

っと思っている、そこのあなた。

 

それはきっと大チャンス到来のサインです☆

お見逃しなく!

 

 

こんなハチャメチャな私が今は楽しく自由に生きています。

 

似たような環境の方、

何かから抜け出せない方、

まだまだ頑張りたい方、

何かに悩んでいる方、

同世代の皆さん!

 

まだまだこれからですよ〜

 

書きながら改めて自分の気持ちの整理になりました。

 

長文、

最後まで読んでいだき、ありがとう☆

楽しい毎日をお過ごしくださいね!

 

 

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